煮魚を齧る

新橋に出かけると、立ち寄る場所のひとつが、資生堂ギャラリー。

地上階のスイーツのショーケースに後ろ髪をひかれながら、階段を下りてその時々の世界の入り口を開く。帰りがけにもう一度ショーケースをのぞくこともあるし、何回かに一回は「花椿」を鞄に入れて帰る。

家に帰ってもすぐ開くことはなく、自分のタイミングで好きに楽しんでいる雑誌だけど、そこに綴じ込められていたのが、今回の「煮魚を齧る」という小さな詩集。

冷めた煮魚を齧る夫の口元に
粘つく汁が付いたのを
知らせてやる気にもならず
黙って見ている
少し前
温め直しておいたのに

(煮魚を齧る)

口元の様子がわかるくらい、近いところにいるのかな。
ひょっとしたら、夫の前に座って食事している様子を眺めているのかもしれない。
でもそこにあるのは優しいまなざしを持った妻ではなくて、せっかくの好意を無駄にされた薄暗い感情を抱いた一人の人間。

男はそれから一切の
魚の骨を溶かしてしまった
煮魚を齧るということが
あの人には不思議でもなかったんだろう

(煮魚を齧る)

最後には「夫」ではなく「あの人」になってしまった。
一切の骨を溶かしてしまう、あの人。
呼び方は変わり、距離を感じるようで、でも数刻前のような突き放す冷たさはない。

味噌汁も煮魚も、煮えばながおいしいのはよくわかるし、温め直してくれる優しさもとてもうれしいのだけど、冷たいまま食べるのもおいしいんだけどな。
それは面倒くさがりというより、「それもおいしい」という種類の楽しみ方。

だいたい「齧る」と漢字で表現するところがまた、粗暴のような。
歯の鋭さで、魚の肉を削り取り、毟り食らうような原始的な行動みたい。

洗面台やふろ場の前で見つけた、あの人の服から落ちた米粒に豊かな光をみつけ(裸足のうら)、卵焼きの黄色の真新しさに涙をこぼしてしまう(四月)。
目の前にあるモノゴトの、その背景を感じ取る。そんなことができる自分でありたい。

  • 書名:煮魚を齧る (第2回あなたが選ぶ「今月の詩」)
  • 著者:橘いずみ さん
  • 発行者:花椿編集室(花椿文庫)
  • 発行所:(株)資生堂
  • 発行日:2020年01月15日